番組制作者の声

毎日放送
東京制作部プロデューサー・演出
水野雅之さん

2020.1.15 wed

メディアに興味を持ったキッカケ

元々テレビは好きだったのですが、実は、大学生になるまでテレビ局が大学生の就職活動の選択肢になるということをイマイチ理解してなかったんです。大工さんみたいに職人のような叩き上げしかいない業界だと思ってて(笑)。でも OB訪問などをして、テレビ業界で働きたいと思うようになりました。もともと部活などでも、プロセスよりも結果を大切にする性格だったので、なるべく多くの人に自分の仕事の成果を見てもらいたいと考えたら、当時、最も大きなフィールドはテレビ局でした。テレビって一番早く結果が出て、範囲も広い。翌日視聴率が出て、何万世帯が見たかというのが分かるじゃないですか。

入社してすぐ営業を経験して

学生の時は、制作とスポーツへの志望が50:50くらいでした。スポーツ志望の理由は、ずっと野球をやってきたので、地元のドラゴンズに密着したいっていう安易な気持ちでしたけど。ただ、キー局の面接を通過するごとに、全国ネットで放送することへの思いが強くなりました。特にTBSは最終まで残ったのですが、落ちてしまいました。当時は就職氷河期で採用者数が前年の半分だったんですけど、最終面接前に「これは行けそう」と油断してしまいました。でも、一次で落ちても最終で落ちても結果は同じなんですよね。これはOB訪問をされた時に学生に伝えていることなんですけど、「採用」を目的にするのではなく、「入社して活躍すること」を目指しておくと就活の途中で息切れしないと思います。 TBSで最終落ちをして就職浪人も考えましたが、直後に受けた大阪の毎日放送で内定をもらいました。確認したことないんですけど、会社はTBS最終落ちという情報は知っていたと思います。前半の面接、驚くほどあっさりした質問だけで通過しましたから(笑)。

入社後は、東京支社の営業に配属されました。オッサンたちが飲み屋で語りたがる“古き佳き時代”の晩年くらいの時期です。希望の部署ではなかったんですけど、人事部からは「どんな部署であっても結果を出せない人は希望の部署でも活躍できないから、とりあえず2年は頑張れ」と言われました。で、2年間とにかく頑張って、電通でも結構有名になって売り上げのシェアもかなり上げたんです。そしたら「頑張れといったけど、この頑張りは予想外なので、営業から出せなくなった」って言われました。ひどい話ですよね(笑)。

結局6年も営業にいて、やっと制作に異動できました。20代前半に制作の現場力を身につけられなかったので、叩き上げの制作マンに対してはずっとコンプレックスみたいなものは持っていましたが、今となっては、営業で身につけた交渉力、広告の相場感覚や金銭感覚がとても役に立っています。

制作の現場に行って

制作に異動して最初に担当したのは、午後の情報番組「ちちんぷいぷい」でした。今では20年も続いている地元密着の長寿番組ですが、私は人生初の大阪生活だったし、関西弁だらけの環境も苦手なので、かなり不安でした。配属初日の夜にプロデューサーとご飯を食べた時に「東京から大阪に引っ越してきて面白いと感じたことは?」と聞かれて、いくつか挙げたら「じゃあロケして1週間後にオンエアするように」と言われました。今思うと大したVTRじゃないんですけど、そのクオリティが認められて、AD免除でディレクターデビューしました。とはいえ、その後は、ADやリサーチャーや作家の手助けなしで、一人でネタ探しや台本を仕上げる羽目になったんですけど(笑)。月〜金の帯番組でフロアディレクターを3曜日、サブ(副調整室)を1曜日担当して、残り1曜日でロケに行き、土日で編集して翌週放送するというのを1年間やりました。今では絶対に考えられない スパルタ教育ですけど、地肩がつきました。「プレバト!!」の収録のライブ感覚や、「初耳学」のネタ探しの感覚でもその時のノウハウが活かされています。

東京制作部に異動して

2年の大阪での制作を経て、全国ネットを制作する東京支社に異動しました。東京へ来て痛感したんですけど、番組の作り方が大阪と全然違うんです。当たり前ですけど、全国ネットの方が視聴者の価値観が多様ですよね。例えば、結婚式ビデオをイメージしたらわかりやすいと思うんですけど、結婚式ビデオってまずスベらないじゃないですか。それはあの場にいる人たちが共感しやすいネタを入れるだけで確実にウケるからですよね。つまり、関西人なら共感してくれるネタでも、全国ネットになると、見てくれる人が増えるので全員の共感は得にくい。だから作り方が違うんです。

あと、笑いと情報のバランスも違う。イメージを言うなら(関西弁の)“オモロイ”はダメで(標準語の)“面白い”もダメ。目指すのは“楽しい”番組という感覚。関西は“オモロイ”の比重を高めたらいいけど、全国ネットのゴールデンタイムでは“オモロイ”は味が濃すぎるし、“面白い”よりも、“楽しい”情報を優先した方が高い視聴率が取れる。東京の制作マンの編集を見ていて、スタジオの笑いを迷いなくカットするのは驚きでした。今、思うと落としている部分は“閉じられた笑い”だったんですけど、その取捨選択の調整にしばらくかかりましたね。

手応えをつかんだ「プレバト!!」

番組が始まったのは2012年の秋でした。浜田(雅功)さんMCで木曜19時ということが最初に決まっていて、そこから企画を考え始めたんですけど、当時の裏番組は「vs嵐」や「黄金伝説」など人気番組ばかりだったので、グルメや健康情報みたいなことベタな企画をやっても埋没するなぁと思っていました。あれこれ悩んでいるうちに「浜田さん×知的バラエティー」というアイデアが出てきました。最初に「漢字書き順トーナメント」が当たったんですけど、すぐ問題のストックが尽きました。問題になり得る漢字の書き順って30個くらいしかないんですよね(笑)。

そんな中、生まれた新企画が「才能ランキング」だったんですけど、これは、自分が言われたらイヤなダメ出しをまず考えたんです。思い浮かんだのは「何を言っているか分からない」「美的センスがない」「リズム感がない」の3つ。「何言っているか分からない」というダメ出しが、俳句につながりました。と言っても、最初から俳句にしようとしたわけではなくて、俳句や短歌、標語など、いろんな分野の専門家をリサーチして、ディレクターが見つけてきたのが夏井先生の動画だったんです。その動画は愛媛のローカル番組だったと思うんですけど、一般人の俳句を容赦なくぶった斬っていて、あまりの痛快さにスタッフ全員一致で即決しました。最初の収録で、浜田さんが一人目の査定の時に「このオバハン口悪いな」って言った時に「いける」と思いました。

いつも一緒に番組を作っている放送作家から言われたんですけど、僕の編集は夏井先生と出会う前と出会ったあとでは違うそうです。元々、僕は自分の作るVTRに飽きられる恐怖感が人一倍強いんですけど、夏井先生の添削はほぼノーカットなんです。それを見て「出演者を信じる編集になった」と。俳句のコーナーなんて、収録時間よりオンエア時間の方が長い時もありますしね(笑)。それは初耳学で林(修)先生のトークをの見せ方や、VTRの緩急のつけ方に活かされたと思います。

プレバト!!

恩師・林修先生と「初耳学」

高校の時、地元の愛知県で林先生に教わっていたんです。小さな塾だったのでアットホームな雰囲気だったし、授業後にご飯をご馳走になるような関係でした。林先生がブレークした時には、まだシニカルな本性を隠して「頭のいい良い人」キャラでテレビに出演されていたんですけど、普段の授業のシニカルなキャラクターの方が、絶対に魅力的だと思ったので「初耳学」を企画しました。当時の塾でも林先生は、美人とイケメンを贔屓していたので、当時の教室の雰囲気をスタジオに再現しようとしました。だから大政(絢)さんと「Sexy Zone」の(中島)健人くんに出演してもらったんです。林先生とはよく食事に行っていて、とにかくいろんな話をします。番組のことや時事ネタ、最近気になる人などなど…。あれだけの知識量なのに、林先生は今でもインプットの量がハンパないので、食事中にしょうもない話をしていても隙は見せられません。自分が常にアップデートしていかないと、底を見透かされそうなので……(笑)。

林修先生と「初耳学」

「プレバト!!」から生まれたキーワードから「教えてもらう前と後」へ

「プレバト!!」は当初、才能を競うランキングショーの要素を色濃く打ち出すつもりだったんですけど、夏井先生をはじめとする講師の添削が好評だったので、カルチャースクール路線の要素を増やしていったんです。そこで出てきたキーワードが「知のビフォーアフター」だったんですけど、このコンセプトは、違う番組も作れるのでは?と思うようになりました。どういうことかというと、プレバトは“作品”のビフォーアフターショーだけど、“情報や知識”を知る前と知った後のビフォーアフターショーなら新たな番組が作れると思ったんです。
その時に思い出したのが、ある制作会社の社長さんに聞いた池上彰さんの話。サラエボに通称「スナイパー通り」という場所があるんですけど、何も知らない人が歩くと2〜3分で通り過ぎるような、なんてことない道なんですって。でも池上さんからその通りで繰り広げられた惨劇を聞くと、同じ道なのいろんなことに気づくようになってしまって、歩くのに2時間はかかるって言われて。その話から企画したのが「教えてもらう前と後」なんです。池上彰さんと滝川クリステルさんに出演してらって特番を放送したところ、好結果を残せました。滝クリさんと博多華丸・大吉さんのレギュラー番組になってからは後輩が、上手に変化させながら、火曜20時に馴染ませてくれています。

メディアを目指す皆さんへ

テレビに限らず、制作の仕事を目指しているのに、自分がやっていけるか自信が持てない人へ、僕が制作配属前に不安だった時に、「情熱大陸」を手がけていた先輩に言われて気持ちが軽くなった話を伝えたいんですけど……。きっと多くの人って小中学校の時に人並みに大抵のことはできてきたと思うんです。例えば小中学校の国語の授業で、長い話を要約する課題ってあるじゃないですか。先輩が言うには、あれができれば、編集はできるし、編集ができればディレクターっぽく振る舞えると。
それに、制作現場で仕事をしていて、一目置かれてる人たちって、閃きでやっているわけではなくて、インプットの量が多いんです。街ぶら、読書、テレビ視聴、旅行、交友関係などインプットの量で勝てたら、才能ある人にも絶対に勝てると思います。天性の才能だけで、全く想像し得ないようなアイデアがポンポン出てくるような人に会ったことはありません。だから不安にならずに制作者を目指せばいいと思います。

あと、大阪のテレビ局で働くことについても1つだけ。僕は東京のテレビ局に入りたかったけど、毎日放送に入社しました。入社ギリギリまで悩みましたが、今となっては、就活の面接で言っていた「全国ネットの番組を手がけたい」という志望動機を叶えて、今、3番組も放送されています。これはTBSの人と比べても多いし、結果として自分のやりたいことはできているんですね。ありきたりな言葉だけど、会社に入りたいのか、その仕事に就きたいのか、それを考えてほしいです。その一方で、これは林先生の持論に100%共感しているんですけど、“やりたい仕事”よりも“自分がやれる仕事”に出会って欲しいです。やりたくない仕事でも、結果を残せば達成感を持つこともできるし、学生時代までの経験で“やりたい仕事”って思っていることも、もっとインプットが増えたら考え方が変わることってありますしね。

そして地上波で働くことについて、最後に伝えたいんですけど。最近はネット界隈の人たちと仕事をすることも増えました。その時に、僕がコンテンツを作れるというスキルはとても効果的なカマシになります(笑)業界の垣根がなくなるこれからの時代だからこそ、揺るぎないスキルが不可欠だし、動画制作のスキルを身につけるという点に関してテレビ局というフィールドはとても恵まれていると思います。

プロフィール

愛知県春日井市出身。慶應義塾大学商学部卒業後2000年に毎日放送入社。
現在は「プレバト!!」の総合演出を担当。「林先生の初耳学」「教えてもらう前と後」の企画、演出、プロデューサーとして現在のゴールデン・プライム帯における毎日放送制作の全番組を手がける。
(2020年1月現在)

教えてもらう前と後 プレバト!! 林先生の初耳学