番組制作者の声

メ~テレ(名古屋テレビ放送)
コンテンツビジネス局 映像コンテンツ部チーフプロデューサー
太田雅人さん

2020.2.27 thu

メディアに興味を持ったキッカケ

京都出身で、子供のころからテレビ、特にバラエティーが大好きでした。「4時ですよーだ」(MBS)を見て、とにかく「ダウンタウン」がずば抜けて面白いと思った。それが高じて、中学のクラスの出し物で「4時ですよーだ」のパロディーをやったり、友達と「チョモランマ」というお笑いトリオを組んで大喜利をやったりするほどでした(笑)。

高校進学で東京へ行った同じタイミングに、ダウンタウンさんも東京進出して、勝手に運命を感じ、大学時代はダウンタウンさんと仕事をするのが目標になり、就職先はテレビ局に決めました。

大学4年時は、東京と大阪の局を受けたのですが、その内3社に、最終面接で落とされました。これはやばいと思い、百貨店の内定をもらったのですが、興味がないのに本当に行っていいのかと考え、内定者パーティーの前日にお断りし、一年留年してもう一度受けることにしました。2年目はなんとしてでも入りたかったので、名古屋のテレビ局も受けて、メ~テレ(名古屋テレビ)がようやく拾ってくれました。

メ~テレに入って

1カ月の研修ののち、念願かなって制作部に配属されました。本社と東京支社の異動はありましたが、幸いにもずっと制作部です。最初の番組は金曜深夜の生放送バラエティーで、下っ端ADでしたが、過激な内容だったので1クールで終わっちゃいました。その後、土曜朝の情報生番組の担当になりました。1年半ほどでしたが、当時は“武闘派”の先輩方がたくさんいて、1年365日のうち350日ぐらい仕事をしていたという、今では考えられない生活でしたが、毎日学園祭のようで、楽しくて楽しくて、ちっともつらくなかったですね。

3年目のころ、バラエティーの担当になり、最初にディレクターを務めたのは、(女性お笑いコンビの)パイレーツと、ホンジャマカの恵俊彰さんが出演するコント番組「だっちゅーに!」でした。もともとバラエティーをやりたかったのですが、ディレクターを経験して初めて、「辛さ」を感じました。ADの時は楽しいだけでしたが、ディレクターになると責任が大きくなり、さらにクリエイティビティーが求められるので、そのプレッシャーが楽しい反面、とても難しく感じました。

ロケ台本をチーフ・ディレクターに見せたら、「コレ面白いと思うの?」と言われたり、プレビューで全く笑いが起きなかったり。そして、アイディアが次々と出てくるかどうかがプレッシャーでした。先輩に相談したり、センスのある友達に相談したりしましたが、最後は自分で生み出すしかない。何が面白いかを自問自答する日々でした。

チーフ・ディレクターになって

チーフ・ディレクターとして最初に担当したのは「ナマタノオロチ」という番組でした。予算があまりなかったので、名古屋にやってくるミュージシャンや俳優さんに、プロモーションということで、ギャラゼロで取材させてもらうという企画でした。ブレーク前の長谷川京子さんにMCをしてもらい、とても楽しかったですね。

やはり、いちディレクターだとチーフの色に合わせなければならないんですが、チーフ・ディレクターは自分で色を作れる。「番組の狙いが〇〇だから、セットは〇〇で、BGMは〇〇で……」と自分の趣味嗜好に合わせられる。フジテレビの「めちゃ×2イケてるッ!」の片岡飛鳥さんがSE一つにもめちゃくちゃこだわっていて、そのスタイリッシュなバラエティーの世界観にあこがれていたので、番組のパッケージ感には相当こだわりました。

ドラマ制作も

バラエティーをやりながらですが、3年目にドラマの助監督をやらないか、という話があり、制作会社の「テレビマンユニオン」に出向して、安藤政信さんと葉月里緒菜さん主演の「青年は荒野をめざす'99」という全国ネットの作品に携わりました。バラエティーとはまるっきり違いました。バラエティーは現場の空気感に合わせて、時には台本を無視して進めていきますが、ドラマは当然ながら台本通りに撮影していく。ただし、作る心意気やマインド、人の心を揺さぶる点は一緒かなと思いました。

そこからは、バラエティーをやりながら、ドラマの助監督も何本か担当しました。大沢たかおさんが戦場カメラマンの沢田教一を演じたドラマ「輝ける瞬間(とき)」では、映画「ホワイトアウト」などを演出した、元共同テレビの若松節朗監督から、ドラマづくりのイロハを教えてもらいました。とにかく役者やスタッフを本気にさせるハート・人間力がすごい。番組づくりは、表面的なかっこよさやテクニックに目が行きがちだったのですが、若松監督から「演出で最も大事なことは、スタッフや役者を本気にさせる、ハート・人間力なのだ」と教わり、今でもこれをコンテンツ作りの心情にしています。

「輝ける瞬間」のロケ時(@ベトナム)

「ガンジス河でバタフライ」を企画

開局45周年記念ドラマ「ガンジス河でバタフライ」の企画が、社内プレゼンで通りました。この時、普通にプレゼンしても通らないと思い、原作者のたかのてるこさんと、脚本家の宮藤官九郎さんが、同じ日大芸術学部卒だった縁で、「必ず企画を通しますから」と脚本を依頼し、通ってもいないのに、OKをもらいました。そして社内プレゼン用にも、応援メッセージも頂き、無事合格することができました。これで企画が通らなかったらと、今考えると恐ろしいですよね。

メ~テレでは開局35周年記念番組として、沢木耕太郎さんの原作を大沢たかおさん主演でドラマ化した「劇的紀行 深夜特急」を制作して、高い評価を得ていて、私も大好きでした。45周年の企画を考えるとき、先輩から「名古屋局が全国ネットで勝負するなら海外ネタはいいぞ。画に力があるから。」と言われたのもあって、深夜特急がハードボイルドな旅行記なら、「ガンジス河でバタフライ」はポップな旅行記ということで、「インド×クドカン」は絶対に面白いと思い、企画しました。

海外ロケ、特にインドでの撮影はめちゃくちゃ大変でした。主演の長澤まさみさんは、死体や牛の糞が流れているような川では泳いでくれないだろうから、ホテルのプールを用意して、CG合成しようと考えていたら、逆に「本当のガンジス河で泳がないと、意味ないですよ!」と言ってくれました。当時20歳でした、すごい根性だなと感心しました。

「ガンジス河でバタフライ」のロケ時(@インド)

開局55周年企画で「乱反射」

とにかく「深夜特急」があこがれで、「深夜特急」を超えたいと思い、開局55周年の企画で「乱反射」を制作しました。

いまのテレビドラマは、分かりやすい、一話完結のサスペンスが多い。もちろんそれも悪くないんですが、もっと心に刺さる、大人が見るドラマが作りたかったです。いまのテレビドラマに対する刺激になればと思って作りました。

原作を選ぶために100冊ぐらいの本を読みました。「乱反射」は、全部で62章あるんですが、マイナス44章から始まり、真ん中のゼロ章で運命の倒木事故が起こるという一風変わった作品で、犯人は明確でないので、ドラマ化は難しそうな原作でした。ただ「深夜特急」も“実写化困難”といわれていたので、難しい原作に挑めば、とんでもない化学反応が起こせると思ったんです。 原作が重厚で素晴らしいので、一流の役者さんが演じたいと感じてくれると思いました。主演の妻夫木聡さんや、井上真央さんも、脚本を読んで面白い作品だ、ということで出演を決めてくれました。それくらい重厚で、やりがいのある作品でした。

石井裕也監督も、中途入社で入ったスタッフが石井監督の映画「舟を編む」で助監督をやっていた関係で、声をかけてもらいました。石井監督にもプロット段階で「面白い」と言っていただきました。「メ~テレさんって『深夜特急』や、『ガンジス河でバタフライ』を作っていたんですよね」と過去の作品も見てくれていて、とてもうれしかったです。「深夜特急」はまだまだ超えられていませんが、芸術祭や民放連賞をいただいたり、上海国際映画祭に出品できたりしたので、少しは近づけたかな思います。

乱反射

バラエティーはネットで

「ロバート秋山の市民プール万歳」は、“1分1万円”という低予算で、しかも地上波では#1だけ放送して、あとは有料配信でやろうという、マネタイズが主たる目標のコンテンツです。テレビだけでなくいろいろなデバイスでコンテンツを見る時代なので、いかにお金を払ってくれるか、そういった視聴者を想像しながら作っています。

地上波テレビの場合、ターゲットは「20~35歳の男性」というように幅が広いですが、配信コンテンツの場合は「ロバート秋山のファン」が見たいものを作りました。地上波の場合、秋山さんのトークが10分あったら2分くらいに編集しますが、配信では全部見せました。

 想像以上の反響でした。いま分析しているところですが、知名度と人気度という指標で考えた場合に、テレビは知名度が高い人を起用しますが、配信は人気度が高い人を起用した方がいい。知名度だけではお金を出しませんが、人気度があればお金を出してもらえるんです。

テレビのビジネスモデルが限界に来ている部分もあります。作ったコンテンツをどうマネタイズしていくかを考えるのが重要。従来のテレビビジネスは続けつつ、新しいやり方を探していかなければと思います。「乱反射」も2次利用として、劇場公開や、配信、海外番販、DVD等のパッケージ化等、放送して終わりでなく、マネタイズしていきます。

ロバート秋山の市民プール万歳

テレビの強み、ローカル局の強み

なんと言っても“マスに届く”というところが強い。配信コンテンツでも、プロモーションとして地上波を使えるというのは、最大の武器だと思う。マスに届くという点をうまく使えば、これからYouTubeにもテレビ局がどんどん進出すると思う。

地方の民放局はライバルが少ない。社員も少ないし、企画も通りやすい。競争率が低いのでやりたいことが具現化しやすいと思います。ドラマやバラエティー、音楽番組も隔てなくできるんです。

 インターネットの環境が整備され、地方でも仕事ができやすくなり、ローカルにいるデメリットはなくなってきています。名古屋にいながら出演者ともテレビ会議で打ち合わせしたり、ドラマのオーディションもそのシステムで行いました。特に名古屋は、東京と大阪の間に位置し、リニアが開通すれば首都圏内になるとも言われていますしね。

ダウンタウンさんと番組を作るというのは夢なので、何としてでも実現したい。また、これからは世界がマーケットになるので、世界で認められるコンテンツをつくりたい。まだまだ埋もれているアイディアがあるはずなので、発掘していきたい。

メディアを目指す皆さんへ

一発当ててやろうという野心のある人に来てほしい。映像の世界は無限の可能性があるので、ぜひ来てほしい。テレビ局という強みを使って、映像の可能性を追求してもらいたいですね。

プロフィール

1972年8月2日生 京都市出身。1996年 早稲田大学政治経済学部卒業 名古屋テレビ放送入社。1年目に制作部に配属され、以後一貫して制作畑を歩み、バラエティ、情報、ドラマ等を担当。
主な連続ドラマ作品は、「ダムド・ファイル」(03年・万田邦敏監督)、「加藤家へいらっしゃい!~名古屋嬢っ~」(04年・堤幸彦監督)、「まかない荘2」(17年・榊英雄監督、福原充則脚本)、「ミューブ♪~秘密の花園~」(18年・宝来忠昭監督)、「星屑リベンジャーズ」(18年・AbemaTV共同制作)、「イジューは岐阜と」(18年・大九明子監督)、「ヴィレヴァン!」(19年・後藤庸介監督)、「本気のしるし」(19年・深田晃司監督)。
主な単発ドラマ作品は、45周年記念「ガンジス河でバタフライ」(07年・李闘士男監督、宮藤官九郎脚本)、50周年記念「ゆりちかへ ママからの伝言」(13年・若松節朗監督)、55周年記念「乱反射」(18年・石井裕也監督)。
主なバラエティ作品は、「夫婦交換バラエティー ラブちぇん」(05~08年・P)、「キングコングのあるコトないコト」(09~14年・総合演出)、「ザキとロバ」(16~18年・CP)、「ハピキャン」(19年~・CP)。 主な配信コンテンツは、「ロバート秋山の市民プール万歳」(18年)、「カンニング竹山のあ々バズりたい」(18年)。
主な受賞歴は、「ガンジス河でバタフライ」でATP賞・優秀賞、ギャラクシー賞・奨励賞、「乱反射」で文化庁芸術祭・優秀賞、日本民間放送連盟賞・優秀賞。
現在、コンテンツビジネス局映像コンテンツ部チーフプロデューサー。

乱反射 ハピキャン