番組制作者の声

テレビ新広島
メディア本部報道制作局制作部 副部長
栗原昌哉さん

2020.3.17 tue

メディアに興味を持ったキッカケ

昔からテレビ・ラジオが好きで漠然と放送局に憧れはありました。それが具体的な志望に変わったのは、大学生時代。学生寮に住んでいたので、テレビを大人数で観ることが多かったんです。当時、野茂投手の大リーグ初登板の試合を生中継するということで、寮生100人以上が朝からテレビの前に集まり熱狂したのをよく覚えています。そんな中で「テレビが人に与える影響力や共有力」を強く感じました。さらに、大学で始めた演劇で「大人数で一つの作品を作り上げる喜び」を知ったことで、テレビ局で仕事をしたいと思うようになりました。
ただ、当時は就職超氷河期ど真ん中で、倍率の高い放送局に、まさか自分が受かるとは思っていませんでしたので、並行して銀行など一般企業へもエントリーしていましたが、思いが伝わりテレビ新広島(TSS)に入ることができました。

テレビ局に入って

制作希望で入ったのですが、最初の配属は営業セクションでした。最初は戸惑いましたが、営業にいても番組を作ることができて、ニッカウヰスキーの竹鶴正孝が広島出身ということもあって、入社3年目に「竹鶴」というウイスキーが発売されるタイミングで提案したドキュメンタリー番組の企画が成立して、なんと全国で放送されました。営業という立場でも番組制作に関われることもができるのは喜びでもあり楽しかたったし、営業の仕事の奥深さも知り、当時はこのままずっと営業でいいなと思っていました。

制作への異動

入社10年過ぎて、ようやく制作への異動辞令を受けました。もちろん嬉しかったのですが、別の企業に就職するような気持ちで、不安もありました。営業で番組制作に関わることはあったものの、最初は番組テープを触るのも恐る恐るで、専門用語はわからないし、やっていいことも、悪いことも何も分かりませんでした。制作生え抜きの人間が多い中で、早く周りに追いつこうと必死でした。

制作部で最初に担当したのが、生放送の情報番組。そこで生放送の進め方や中継のノウハウを学びました。意外かもしれませんが、一番苦労したのはVTRの“編集”作業。ある意味、視聴者の感情を予想してコントロールすることなんですよね。最初は本当に時間がかかりました。
それでも、何度も繰り返すうちに、“編集”って「聞き手に対してどれだけ簡潔に、興味深く話ができるか」ということと同じだなと気づいたんです。それ以降は、トレーニングだと思って、普段の話し方を意識するようになりました。

編成で学んだこと

制作部に5年在籍した後、編成部に異動しました。
編成は、番組を見ることが仕事。学生時代には考えられませんよね。(笑)普段なら見ない番組もイヤになるぐらい見続けました。面白いもので、ずっと見続けていると、この番組は数字(視聴率)が取れるとか、取れないとか、なんとなく分かるようになるんです。あわせて、膨大な量の番組企画書にも目を通していく中で、「ヒットする番組はシンプル」という法則が徐々にみえてきました。

僕が編成部にやってきたときは、フジテレビ系列の視聴率が下がり始めた時期でした。それまで1位か2位が当たり前だったのに、一気に4位に落ちちゃったんです。当時は「何でこんな時に編成部に」とは思いましたが、不幸中の幸いというべきか、この時期に空前のカープブームが到来。その人気にあやかって、普通ではありえない特番をやってしまいました。(笑)
特に印象に残っているのが、カープ黒田博樹投手引退会見の緊急特番。当日14時位に引退会見の情報が入り、急遽19時からのゴールデン帯で2時間の緊急特番を放送することを決めました。すぐに野球解説者の達川光男さんに電話して、(その時はお風呂に入られていたそうです)出演していただくことになりました。ところが、番組開始わずか7分で会見が終わってしまったんです。2時間の特番ですよ?「これはまずい。どうする?」と全員が凍りつきましたが、ほとんど達川さんのトークで乗り切って、結果は視聴率19.2%!(※ビデオリサーチ調べ、広島地区)「TSSがゴールデンで達川独演会を放送した」と、ネットニュースで話題にもなりました。視聴者が見たい時に見たいものをタイミングよく届けること、予定調和でないライブ感の重要性を実感しました。

ちなみに、その後制作部に戻ってからも、カープの助っ人外国人・エルドレッドが退団を発表して1週間後に、19時からの2時間特番『ありがとうエルドレッド』を制作・放送しました。視聴率は18.3%!(※ビデオリサーチ調べ、広島地区)ゴールデン枠で外国人選手の退団特番は他の地域なら考えられない企画かもしれませんが、広島の視聴者ニーズはあったということ。求められている時はやりすぎるぐらいがちょうどいいし、ここでもやはり「タイミングが命」と教えられました。

『ありがとうエルドレッド』

再び制作へ

2年前、まだ編成にいた頃、社内で「全国に通用するコンテンツを作ろう」という新たなミッションが生まれました。正直「これを制作で担当する人間は大変だな」思っていたら、自分自身が制作に異動になり新番組班に。もう制作に戻らないと思っていたし、新たなコンテンツづくりがそんな簡単でないことは制作・編成の経験で分かっていたから、当時は正直面食らいました。

ただ、番組をまた作れるという喜びもあり、2企画を放送しました。
一つが『サシ飲み』で、親子の初めてのサシ飲みを密着する番組でした。以前、先輩から「親父とサシ飲みして一人前。1週間以内に親父を飲みに誘ったら賞金やる」といわれて、何話していいか分かんないし、照れくさくて結局誘えなかったんです。ただ、その「照れくさい」感情を番組にできないかなと思って、実際に3回特番という形で放送しましたが、リアルな感情が表現できて視聴者の反応はよかったです。

もう一本が『西村キャンプ場』です。いつか広島出身のバイきんぐ西村瑞樹さんと番組をしたいと思っていたんですが、ちょうど西村さんがキャンプ芸人として話題になり始め、だったら今までにない「キャンプぶらり旅」はどうかと。新番組班は私含め2人しかディレクターがいなかったし、西村さんのキャラクターを考えても、敢えて大きなことは言わず目線を下げて「お時間のある方だけ“ながら見で”」「最高に無駄なひとときを」という煽らない広報展開にしました。

『西村キャンプ場』

西村さんってキー局の番組の中でのイメージでいうと、追い込まれたり、しいたげられたり、サイコパスだったりですが、この番組では、西村さんが気ままに旅をしながら、趣味のキャンプするただひたすら楽しむ“だけ”なので、とにかく西村さんのリアルな感情や人懐っこい表情が出ています。西村さんのマネージャーさんとは「もっと追い込んだ方が面白いかも」ともなりましたが、キー局との差別化も含め、このままで進めさせてもらいました。
結果、その緩さやリアル感が受けたのか、視聴率も良く、私ももう一人のディレクターも経験がないくらい反応が良かった。レギュラー化わずか3カ月で東海テレビさんでもレギュラーにして頂きました。ただ、何がウケているのか我々作り手がわかってないのが問題ですが。。。(笑)

『西村キャンプ場』

ローカル局の強み

キー局に比べ組織が小さいので、本当にやりたい事があるなら実現しやすいと思います。もちろん、情熱を持って何を面白がれるかが肝だと思います。今、いろいろなネットとかデバイスが増えていることがテレビの強敵のような言い方もされますが、面白いコンテンツを作れればその可能性は日本だけでなく世界まで広がるチャンスだと感じます。番組作りに「正解」はないので、セオリーと思われることの逆をやってみるとか、予算がない分そぎ落とした部分が逆にウケたり、ローカル局は新しい可能性にチャレンジしやすいと思います。

就職活動を前にした皆さんへ

自分の就職活動を振り返ると、いつからか楽しんでいた感覚があります。面接といえば面接官からの一方的な質問の繰り返しと思いがちですが、実は面接官はそんなモノを求めてないのかも。むしろ学生側から質問するくらいの日常会話の延長線上がよいのでは?と思うようになったんです。面接官の立場に立って考えると、毎日何百人も面接している中で「○○大学の○○君」とは覚えてないけど「○○の話をした人、面白かったよね」にはなると思うんです。
つまりは「どれだけ相手の立場で考えられるか」が重要なのかなと思います。面接官の質問に正解はなくて、何を話せば興味を引くかを考えることが就職活動成功の近道かなと思います。テレビ局の仕事も同じで、私も日々どれだけ視聴者の立場に立って考えられるかが一番重要だと思って働いています。

プロフィール

テレビ新広島 メディア本部報道制作局制作部 副部長
広島県広島市出身、上智大学法学部卒業後、1997年にテレビ新広島入社。
1997年入社〜業務部
1998年東京支社(営業部、営業開発部)
2008年制作部
2013年編成部
2018年制作部
現在は『西村キャンプ場』チーフディレクターを担当。
プロデューサーとして『ニッポンを釣りたい!』(全国ネット)
ディレクターとして『サシ飲み』『ありがとう!エルドレッド』等を担当。
入社後、約10年は営業畑、その後約10年は年制作・編成畑

西村キャンプ場