番組制作者の声

長崎国際テレビ
営業局営業推進部長 兼 総合企画室
溝口貴史さん

2020.5.18 mon

メディアに興味を持ったキッカケ

長崎大学では教育学部でしたが、情報系の学科だったので、当時は周囲でも就職先としてSEなどの職種がとても人気でした。私も教師よりもサラリーマンになろうと思い、就職活動を行っていました。長崎は観光地なので、人との接点が多様化している街、人とのコミュニケーションが盛んな街だと感じていました。イベントだったり、情報番組やニュースだったり、世の中の人と人とをつなぐ仕事が魅力的だなと思ったんです。それでエンターテインメントの世界に憧れ、テレビ局を志望しました。

テレビ局に入って

最初は編成部で広報、放送進行などを担当しました。放送のあり方を学ぶということではテレビ局の新入社員としてとても貴重な経験ができた部署でした。就職氷河期の真っ只中、久々の新入社員ということで良くも悪くも可愛がってもらいました(笑)。この時期は、ただ学生から社会人になったという感じで、テレビ局に入ったというより社会人一年生を一生懸命やっているだけだったように思います。

技術局に移って

その後、技術局で、2006年12月から始まる地上波デジタル放送に対応するため、放送スケジュールや営業情報を管理する基幹システムである営放システムのデジタル移行に携わりました。放送機器も含めて全てのことが変わるタイミングで、報道や制作のようないわゆる花形の部署ではありませんが、新しいことを成し遂げるタイミングで技術局にいたことで「自分は何をすべきか」という目標をはっきりと自分で捉えることができた手応えがありました。メーカーとシステムの移行作業を重ねていき、新システムが稼働するカットオーバーの時、営放システムやテレビ放送のマスターが動いたときは感慨深かったですね。

東京支社の営業部に

28歳、東京自体も初めてでしたし、最初は不安でしかなかったですね。とくにローカル局にとって東京支社は、担当する大口クライアントの売り上げが会社全体の大きな割合を占める重要なセクションです。結果、私は4年半いましたが、いま振り返るとテレビマンとしての根幹が作られたとても貴重な経験だったと思っています。また、北海道から鹿児島まで同じ系列の東京支社営業担当者と人とのつながりができ、担当していた電通でも先輩後輩みたいに仕事を通して付き合える大切な仲間がたくさんできました。こうして皆さんにお話しする機会を貰ったのも、この東京支社時代の経験があったおかげだと思っています。クライアント、広告会社、各地の放送局の先輩や同期、後輩たちには感謝しかありません。当時一緒に仕事した仲間が人気ドラマのプロデューサーをやっていたり、報道の現場第一線にいたり、今なお営業として戦っていたりと、長崎で仕事をしていても多くの刺激をもらっています。

思い出に残る4年半

様々な番組をセールスしましたが、2009年、2010年の島原学生駅伝のゼッケンスポンサーを電通と一緒にセールスしたり、日本テレビ系列九州各局で同じスポンサーにセールスを行ったり、東京支社独特のネットワークの強さを感じました。時には系列を超えてのチームワークもありましたね。セールスがうまくいかなかったり、数字が上がらなかったり、しんどいことも、このまま会社に帰りきらんなと落ち込むときもありましたが、日本テレビ系列各局の結束力というか、チーム力、兄弟ができたような、ネットワークのありがたみ、心強さ、楽しいなと思ったことが凝縮された、それは4年半と思えないようなとても濃い時間でした。

報道の現場に出て

東日本大震災が起きた直後、2011年4月の異動でした。
東京支社営業部を経験し、テレビマンになったと勘違いしている32歳だったと思います。報道の第一線に出て、これまでとは全く違う現場でした。インタビューも取材もうまくできず、売上を追いかけることと、情報(ネタ)を追いかけることではこうも違うのかと痛感していました。でも幸い(?)営業経験をいかし、取材先とは上手く付き合うように心がけ、全国紙など他社は若い記者たちばかりだったので、彼らと上手にコミュニケーションを図り教えてもらったりしていました(笑)。初めて作り手の側に立ったという感じで、いっぱいいっぱいの日々でした。

長崎県警キャップの時には長崎県西海市で起きたストーカー殺人事件を担当しました。裁判が始まる前に被告本人と拘置所で面会して、その時の発言をニュースに流したり、拘置所から送られた手記の内容を放送したりするなどライフワークのようになりました。長崎の被爆70年も担当し、高校生平和大使を取材して、長崎や広島の若い世代のバトンを未来につなぐこと、継承していかなければいけないということも実感しました。

営業推進部という仕事

売上を伸ばすための販売促進や営業に関連するイベントの企画、新規事業に携わることになり、これまでの経験やネットワークをいかせる仕事で、とてもやりがいを感じています。毎年夏には、平和の象徴として語り継がれる山王神社の「被爆クスノキ」をモチーフとした、長崎出身の福山雅治さんの楽曲をテーマソングにした平和特番を担当させてもらっています。私が報道時代に取材させてもらったことがきっかけなんです。また、毎年5月に開催している食と遊びの祭典「DEJIMA博」の企画・運営にも携わっています。長崎市の地方創生プロジェクト第一号認定を頂きましたし、来場者30万人を超えるイベントに成長していることは本当にうれしいですね。“営業マンこそプロデューサー”だと思える仕事ができています。イベントもステージとお客さんをつないでいる仕事。みんな笑顔だし、お客さんを見ているのも好きだし、自分が楽しいと思うことをやることが、人と人がつながることになっているのがとてもうれしいですね。

紹介記事(PDF)

民放ローカル局の強み

ローカル局は地元ファーストであるべきと思っています。ビジネスとしてだけでなく、地元のためになるようなことをしたいと常に考えています。私は長崎出身ではないので、最初は地元に根付くという感じが持てませんでしたが、一度東京に出させてもらったり、震災後の報道を通して、メディアが地元へ発信するべきこと、ローカル局にしかできないことがあると感じました。地方創生や地域の課題に目を向けながら、ビジネスも大事ですが、まちづくりに関わることができるのがローカル局の強みだと思うようになりました。

九州新幹線・長崎ルートの開通による長崎駅前や中心部の開発、サッカーJリーグ「V・ファーレン」のスタジアム構想など、長崎は“百年の計”と言われるほど大きく動いています。今、まちづくりにコンテンツを通して関わり、一緒に考えていけたらいいですね。単に「CMを放送してください」というだけの営業でなく、これから長崎をどう素敵なまちにしていくかを一緒に考えられる地元のメディアコンサルタントのような立場になりたいです。

南島原市のシティプロモーション事業では、プロデューサーとしてショートムービーの制作にも携わることができました。南島原市観光ショートフィルム「夢」は、国内最大級の短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2018」で全国519作品の中から観光映像大賞に輝くことができました。制作部にいなくても映像づくりに関われたことは大きな自信です。どこにアンテナを立てて、どういったことにコミットしていくか、時には報道取材であったり、営業的な動きだったり、まちの将来にかかわっていける、地元の将来につながっていける仕事をできるのが、ローカル局の仕事の醍醐味だと思います。

夢(今泉マヤ)

海外展開にも取り組む

長崎国際テレビ本社の住所は、「長崎市出島町11番1号」なんです。江戸時代に日本で唯一の貿易港として世界への窓口になった地で、出島から長崎を、日本を、もう一度世界に広げたいと海外展開への挑戦が始まりました。まずは、タイの旅番組を3年間誘致して、昨年度はドイツ人クルーを長崎へ招聘し、番組ロケを行いました。その映像は現地テレビ局で放送し、番組をPRするイベントも現地シュツットガルトで実施しました。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と軍艦島などで知られる「明治日本の産業革命遺産」の2つの世界文化遺産が長崎にはあります。これらをPRし、観光地長崎として欧州からのインバウンド客を増やしていくのが狙いです。地元の経済が潤い続けることこそがローカル局の存続のあり方であると思って取り組んでいます。

紹介記事(PDF)

バンコクFITフェア長崎ブースにて観光PR(2018年度)

テレビを目指す皆さんへ

自分が大好きな地元や自分を育ててもらった故郷、住んでいる地域を盛り上げたいという気持ちがある人はぜひメディアを目指してほしいですね。地方には、人口減少問題や災害対応、今回の新型コロナウイルス感染症の拡大防止など、さまざま課題があります。そこには、地方のローカル局だからこそ取り組めることが必ずあります。テレビとSNSのようなメディアをどう掛け合わせ、どう新しい価値を創造していくか、これはこれからのメディアを担う皆さんの役割でもあって、地方の放送局だからこそ積極的に取り組んでいくこともできると思います。挑戦する意思のある人、地域を大切に思う気持ちや大義のある人、人とのつながりを大切にする人に、地方局なりの強みをいかし、メディアの力を信じて、自信を持って志してほしいですね。そのような皆さんたちとぜひ将来お仕事したいです。

プロフィール

福岡県北九州市出身、長崎大学教育部卒業後、2003年に長崎国際テレビ入社。入社後、編成部にて広報、放送進行を担当。その後、技術局にてローカル局のデジタル放送開始に向けた営放システム導入に従事。入社5年目で東京支社営業部に転勤、大手クライアントおよび電通を担当。東日本大震災の1か月後に報道部へ異動、記者として県警キャップ、原爆担当、県政キャップを務める。現在は、営業推進部で来場者30万人を超える食と遊びのイベント「DEJIMA博」の企画、運営に携わる。また、総合企画室を兼務し、ドイツやタイなどをターゲットとしたインバウンド促進に向けた海外展開や放送外収入のための新規事業を、人口減少や若者の県外流出といった地域課題の解決に向け、地元メディアとして行政とともに取り組んでいる。